読書「うみねこのなく頃に散 Episode7 Requiem of the golden witch」いかにしてベアトリーチェは生まれたのか
ベアトリーチェ、ネタバレをするなら「ヤス」がベアトリーチェとなった理由。
理御が”い”る理由。
それらが語られたEpisodeだった。
元々はガァプがベアトリーチェだったとは・・・。
これは私的に予想外だった。
最初のベアトリーチェはガァプだったんだね。
話の流れとしては、ほぼ上位世界が過去のヤスについて語るという場面。
ヤスはその生き辛さからベアトリーチェへと昇華するのだけど、その過程で紗音と交流を深めていく。
紗音が戦人のことが好きだということを知って、ベアトリーチェはその恋を手伝おうとするのだが、紗音の恋は戦人が六軒島に現れなくなったことによって、あっけなく破れる。
ここが戦人の罪。Ep4から語り継がれていた、罪。
忘れたこと、迎えに来なかったこと、戦人はけっして紗音とのことを恋として捕らえていなかったこと。
まあでも男の子の子供時代に、恋っていう高等技術を求めることが間違ってる気がするんだけどね。
その辺り女の子の方が早熟だし、それに追いつかなかった戦人は悪くないと個人的には思う。
それに熱中しすぎてしまった紗音の方も悪いのではないかと。
だから一方的に戦人をなじるのはどうかと思う。
この一件があるから、戦人とベアトリーチェの恋を素直に応援できない。
そして結局六軒島の殺人事件としては、
「そして誰もいなくなった」が正しい。(絵羽をのぞいて)
猫箱は猫箱のまま、絵羽によって閉じられる。
それを見るものは誰もいない。
これが正しいんじゃないかなぁ・・・縁寿はそれをこじ開けようとした不届きものだと思う。(縁寿を好きになれない理由がこれ)
うみねこは圧倒的に好きになれない人が多すぎる。
主人公の戦人ですら、私は異議申し立てたいところあるもん。
(なんであの状態でベアトリーチェを好きになれるのか、とか)
立ち位置が一貫している幻想の家具や兵たちはいいんですよ。
ただ、魔女たちや人間たちはブレッブレな感じがする。
最初のEp1〜Ep4までは「さぁ猫箱を開けよ!」とまでの言い草だったのに対して、Ep5〜Ep8に関しては「猫箱は猫箱のままで。そっとしておきましょう」っていうスタンス。
特にこのEp7はそれが顕著だった。もちろん、ベルンカステルは猫箱を穿り返すのがお好きなようだったけども。
この辺りの猫箱に対する落差がうみねこを賛否両論とする人が多い理由じゃないのかなぁ。
もちろん、推理させてくれなかった、っていう理由もひとつにはあると思うけどね。
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