休職と休職後の復帰。そして退職へ(その2)
さて、話は日本IBMを退職したところから始まる。
退職後実家に戻ってきた私がまず一番にしたことは、主治医を決めること。
無論、東京での主治医に紹介状を書いてもらい、どこにいこうかというところだった。
あてもなく、決めたのが通いやすいところにあった病院。
なんとはなしにそこに決め、おじいちゃん先生と一緒に病気に向き合っていくことに。
次に生活環境。
帰ってきたその日からはずっと寝ていて、疲労困憊だった。
片付けもろくにできず、ただただ呆然とするばかり。しかし、また雇用保険の申請などすることはたくさんあった。
早くやらなければならないものは、疲労困憊ながらやってしまい、力尽きたのは、辞めて一ヶ月過ぎた8月頃だった。
一番暑い夏。
でも体調的には上向きではあった。
安定こそしないものの、気分に振り回されていたが、衝動買いややけ食いは少なくなった。
東京にいたころはこれがひどかったので、それだけでもマシになったなあと思えた。
一方で、体が良くなってきたこともあり、仕事を探していた。
エージェントにも頼んで仕事を探し、奔走。
しかし、この田舎じゃシステムエンジニアなんて見つかるはずもない。しかしそれしか仕事で培ってきた経験はなかった。
やっとのことで見つけた仕事はベンチャー起業の立ち上げメンバーだった。
社長とも馬があった気がして、ここでなら心機一転頑張れる気がして、飛び込んだ会社。
しかしそこは大手しかしらない私にはとても過酷であった。
一ヶ月の時間はあったが、その後は容赦なく仕事は振られ、残業するのが当たり前のような風潮。残業しなきゃ帰してもらえない空気、その全てに心が折れそうだった。
大手はぬるま湯だったんだなと思わせられる状況。いや、私がいた環境がぬるま湯だったのかもしれない。
特にプログラムをがりがり書くということに対しては、ほぼやったことがない私は、いきなり実践のプログラムコードを書くというのは自殺行為に等しく、まあ怒られ怒られ。
自分でも「なんでここにいるのか分からない」という気持ちがずっとあった。
役不足だ。絶対足りないし、頼りないと思われている。
被害妄想かもしれないが、当時の私はそう思っていたのだ。
かくして私は体調を崩し、めまいを発症。
それと同時に鬱もひどくなってきて、いよいよ立ち上がれなくなってきた。
すぐに解雇されるのかと思ったが、母親が1ヶ月間の休養を取り付けてきた。
正直1ヶ月で治る気がしなかったが、母親と会社のために治りたかった。
けれど、1ヶ月経って復職したあと、やはり立ち上がれない。動けない。鬱が激しいなどの症状が現れる。
もうだめだと思い、退職願を出した。
その頃にはほぼ動けなくなっていて、家から出ることもできない。
よって退職手続きは全て、郵送でのみ行った。この時は会社の人に感謝している。
めまいの症状で病院も散々連れ回されたが、どこに行っても原因不明。
唯一、セカンドオピニオンを取った今の主治医の病院が、めまいは「躁鬱にある症状だよ。だからそんな不安にならなくていい」と教えてくれた。
私は今の主治医の元に転院し、躁鬱とまた向き合う生活を始めることになった。
今は症状が柔らぎ、立てる時間もちゃんと普通の人並みになってきた。
めまいはするときもあるが、薬でおさえられるようになった。
薬が多少なくても、なんとかなるようになった。
休養って大事だなと思っているし、自分にあっていない仕事を無理やりにやり続けてきた結果がこれなのかもしれないとも思っている。
以上、私が今にいたるまでの会社関係の話でした。
やっぱり大手は長く休ませてくれるけど、放置感激しい。
ベンチャーは休ませてくれないところが痛い。
どっちもデメリットがあるし、大手にいてよかったこともあるので、どちらにいてもよい経験をしたと思う。